◇4月18日〜4月21日
−2日目−
DATA 
 走行時間  3h35m21s
 走行距離  59.44km
 平均速度  16.5km/h
 最高速度  43.7km/h
NEXT DAY
 8時に朝食を頼んでいた。7時に目が覚めたが、することもないので、8時までベッドの中でぼーっとしていた。あっという間に8時がきた。下へ降りていって食堂へ行くと、もうすでに朝食の用意が出来ているようだった。朝食はパンだったが、オーナーの話によれば、米で作ったパンらしい。さらに、まだ4月だというのにスイカが盛られているあたり、やはり沖縄である。朝食で腹一杯になった後、さっそく出発の準備を始めた。
 今日の予定は、午前中に首里城へ行き、午後から少し北の方を回って米軍基地を横を通ってみるという計画である。荷物をまとめた僕らは、ユースをあとにした。オーナーはとても親切で、チョコレートを持たせてくれたり、十分用心するように忠告してくれた。
 沖縄の温かさを感じながら、首里城を目指した。ユースから城はすぐである。少し坂を登ると、すぐに着いてしまった。最初に僕らの前に現れたのが、二千円札で描かれる守礼門である。入り口で沖縄の民族衣装を着た女の人らが写真を撮る商売をやっていた。その横を素通りしながら中へ入った。
 首里城は、戦争でほとんど壊れてしまったので、まだ改築したてのきれいな状態である。それでもその形には、何百年の伝統を感じずにはいられない。中を一通り見て回った。
 一時間ほどして、自転車を置いた場所へ戻ってきた。まだ十時過ぎで、予定よりかなり早かったが、北へ向かうことにした。高速道路沿いに走る29号線を通ったが、島の真ん中を通るので微妙なアップダウンがあった。特に中城のあたりは、下り坂がずっと続き、ふと後ろを見ると相棒がついてきていなかった事もあった。北中城村で、いったん海沿いの国道329号線にでて、昼飯をとる所を探した。しかし、なかなか食事できる所がない。那覇から離れればやはり田舎である。探しながらも北上し、コザ十字路まで来た時だった。
 選挙宣伝運動の車が、おかしな放送を流しながら走っている。よく聞くと、おさかな天国の替え歌バージョンではないか。候補者の名前が「てる子」というらしく、「さかなさかなさかな〜♪」のところを「てる子てる子てる子〜♪」と歌っている・・・
 ちょっとしたカルチャーショックを受けながら、先へ進んだ。コザ十字路を過ぎたところで、喫茶店があったので、そこで昼飯をとることにした。その喫茶店も少し変わった店で、テーブルがいまだにゲーム機テーブルである。お金を入れると花札ができるようになっていた。しかし今時そんなゲームで遊ぶ人もいるわけがなく、ボタンが邪魔で食べにくくしているだけだった。とりあえず、その店の日替わり定食を頼んだ。
 定食を食べながら気づいたことだが、沖縄の米は少し独特の味がする。しかしそれが、沖縄独自の米なのかどうかは分からなかった。
 昼飯をとって体力回復した後、僕らは知花から沖縄嘉手納線の道を走った。米軍施設の横を通る道で、左手には広大な空港が支配していた。道は整備されていて、とても走りやすかった。写真を撮ろうと、途中で止まった瞬間だった。ものすごい音で飛行機が現れ、僕らの真上を通って基地に着陸しようとした。必至でカメラを取り出して撮ったものの、すでに遅く、遠くに小さく写っただけだった。もう少し待てば、また通るかと思い、しばらく待ってみたが、なかなか来ないので先へ進む事にした。
 74号線はあっという間に終わり、ここから北へ進むか南に進むか迷った。まだ昼過ぎだったので、このまま南下してもすぐにコンベンションセンターに着いてしまうだろう。だからといって、むやみに北へ向かっては、ライブに間に合わなかったという悲劇が考えられる。会場の下見・キャンプ地の確保・さらに風呂屋を見つけたいという意見がまとまり、南へ向かう事にした。相変わらず左手には米軍基地が続く。ツーリングマップルでは、頭上スレスレにジェット戦闘機が飛んでくると書かれた道だったが、曇っているせいか、戦闘機さえ見あたらない。少し残念な気持ちで進んだ。
 しばらく進んで、どこまで来たか分からなくなった。ちょうど、ビーチがあったので、そこで休むことにした。
 ビーチは今日が海開きだと書かれていた。なるほど人はかなり集まっている。しかし、さすがに泳いでいる人は一人もいなかった。昨日沖縄についてから、ずっと天気は曇である。さすがに曇の海を見ても沖縄という感じが薄れてしまう。早く、日差しに輝く海原を見たiい。
 そんな事を考えながら、海を見ていた。ここからコンベンションセンターは見えるのだろうか。ふとそう思って、その方角を見てみた。かすかに、緑色の大きな建物が見える。もしかしてあれかな、まさかな。とりあえず写真を撮っておいた。
 ビーチを出ると、「ゆ」と書かれた案内版があった。JAだが、温泉か何かだろう。運よく、目的の一つである風呂屋は達成できた。先に、会場の下見行く事にした。会場に向かっていると、先ほどビーチから見た大きな建物が見えてきた。距離的にもあの建物が会場である。やはり予感は的中していた。建物の前に「沖縄コンベンションセンター」という文字が書かれていた。これで会場の位置が確認できた。しかし、今晩泊まるキャンプ場が見つかっていない。最後の目的である、キャンプ場の確保をしに、地図に書かれている森川公園というところへ向かった。公園はコンベンションからさほど離れてはいない。しかし、コンベンションは海際にあるため、公園まで微妙な登り坂になっている。
 なんとか公園まで辿り着いたものの、キャンプ出来る雰囲気ではなかった。公園を歩き回っていると、芝生広場を見つけた。ちょうど芝生刈りをしていた人に、ここでキャンプをしてもいいか聞いてみると、役所まで行って許可を取らなければいけないとのこと。
 役所はコンベンションの横にあるらしい。僕らはまた会場まで戻らなければならなかった。戻りながら、本当に役所に行く必要があるのか疑問になった。コンサートが終わるのは9時半頃だとして、それからキャンプを張って一泊して、次の日早く出れば決してバレないだろう。めんどくさいので、役所に行くのはやめにして、先ほど見つけた風呂屋でゆっくり休む事にした。
 どっちにしろ、コンベンションを通らなければならず、来た坂道を下っていた。下り坂はかなりスピードを出すクセがあり、危うく右折しようとしたタクシーとぶつかりそうになった。キャンプ用品を積んだ僕の自転車はブレーキがきくはずもなく、タクシーが止まっていなければ即死だったに違いない。向こうは、けたたましいクラクションを鳴らして過ぎ去ったが、どう考えても悪いのは向こうである。
 どうにも、沖縄の交通マナーは悪すぎる。車は譲ろうとしない。歩行者も邪魔になっていてもベルを鳴らしても無視。特にタクシーは、路地から歩道の先までいきなり出てくる。普通に走っていても、タイミングが悪ければ、横からタックルをくらうだろう。
 今回の旅では、ずっと沖縄の交通マナーにおびえなければならなかった。何度も車と接触しそうになったし、歩行者のおかげでノロノロ運転をせざるを得なかった。
 一度、沖縄の免許教習所へ行ってみたいものだと思いながら、風呂屋へ向かった。
 まだ3時頃だったので、開場まで3時間近くあった。それにしても、JAが経営している風呂屋なんてどんなもんだろうと思いつつ、目的地に着いた。中をのぞいてみてビックリした。健康ランドみたいになっていて、一回1500円である。クソ高い。しかし、ライブの前に着替えておきたかったし、汗も流していきたい。しょうがなく、入ることにした。中の温泉はどうということない、普通の温泉だった。一日中いるならともかく、2時間余りで1500円も取られるのは癪なので、のぼせるまで浸かっておいた。
 少しよろめきながら風呂場からあがり、ジュースを飲みながら休んだ。もうすぐライブだという実感が湧かない。しかも三列目なんて・・・
 開場は5時半。一時間前に出ても早すぎる。しかしすることもないので、外へ出て荷物の整理などをやって時間を潰した。相棒は、ライブに備えて飯を食っていた。
 5時前に、会場へ向かった。ここから先は、ライブレポートに書くので、そちらを参照して欲しい。
 
 9時半。ライブ会場をあとにした。これから昼に下見をした公園へ向かう。とりあえず、コンビニで晩飯を買ってから、行くことにした。人のいない公園は、静まりかえっていた。もちろん、芝生広場もシーンとしていて、少し不気味だったが、ライブ後のテンションの高さが無視させた。テントを立てる前に乾杯することにして、ベンチでビールをあけた。
 沖縄の夜景を見ながらの酒はなかなか美味かった。途中で猫がやってきて食べ物を欲しがるが、食べ物をやればテントまでついてくるだろうと思い、何もやれなかった。猫は僕らが食事をしている間中、食べ物をせがんだが、食い終わると何処かへ消えていった。
 晩飯を済ませると、さっそくテントの設営にかかった。しかし風が強くて思うようにいかない。中途半端に立てると、吹き飛ばされてしまう。かなり苦戦しながら、テントを立てた。なんとかそれなりの形になり、寝床を確保した。
 その日は走行とライブのダブルアタックで相当疲れていたので、すぐ寝ることにした。寝袋もあったが、気温が高いので横になっただけで寝てしまった。
→ ライブレポート