◇4月18日〜4月21日
−3日目−
DATA
走行時間 5h48m18s
走行距離 93.81km
平均速度 16.1km/h
最高速度 46.7km/h
6時起床。7時には出発したかった。許可を取ってなかったので、あまり人目につかないうちに出発したかったのだ。しかし、そんな心配をよそに、地元の人が散歩しに来る。挨拶を交わすものの、居心地が悪い。慌ててテントを片づけたが、相棒はまだ寝ている。起こすのも気が引けるので、そのままにして支度をしていた。自転車に荷物をくくりつけるぐらいになって彼は起きた。とっくに準備の終えた僕の側で、ゆっくりとテントをたたみ出した。飼い主と散歩に来た犬が、芝生を駆け回っている。あんな犬が欲しいなと思いながら、その景色を眺めていた。
彼らが帰りかけた頃、ようやく相棒の準備が終わった。もう8時がきている。まあ今日もそれほど走る予定ではないので、急ぐ必要もない。とりあえず朝飯を探そうと、出発しようとした。しかし、次の瞬間、相棒の口からショッキングな言葉が出てきた。
「パンクしている・・・」
相棒にとっても初めてのパンクらしい。修理セットは持ってきていたものの、修理にはかなりてこづっていた。荷物をおろして、パンクを直し始めた。西日本横断の時も、その時の相棒の自転車がパンクしたが、修理を見ていなかったので、僕にもどうすることもできなかった。かなりてこづりながら、なんとか直ったようにみえた。
9時。今度こそ出発である。とりあえず公園を出て、国道をめざした。坂を下れば、すぐに国道につながっている。国道沿いに、コンビニがあったはずなので、そこで朝飯を調達することにした。ほどなく国道に出てみると、派手に壊れた車に、気の抜けてしまった運転手が乗っている。どうやら、壁に激突したらしい。沖縄の交通マナーなら無理もないだろうと思いながら、その向かい側にあったローソンへ立ち寄る。おにぎりをいくつか買って、店の前で食べた。食べ終わって相棒の自転車を見ると、もう空気が抜けている。どうやら修理は失敗したらしい。走りながら自転車屋を探そうと、無理矢理空気を押し込んで走り出した。しかし、数100mも走ると、完全に空気が抜けてしまって、それ以上走ると、危険なことになりかねない。僕らは走行を止めざるを得なかった。相棒は、再び修理を試み始めた。僕は周囲に自転車屋はないかと探してみるものの、それらしきものはない。相棒はやがて修理をあきらめ、近くの人に自転車屋の場所を聞き出した。
ようやく、自転車屋の場所は分かったが、ここからかなり遠い。少し話し合った結果、彼は空港まで歩いて、そのまま帰ることになり、ここからは自分一人で走ることになった。 10時前、僕はゆっくり走りだした。独りで走ることになろうとは、予想もしていなかったが、新鮮な気分だった。とりあえず、58号線を通って那覇を目指す。とある信号で止まった時、一瞬目を疑った。宮脇書店を発見したのである。高松から進出して、広島あたりまで拡大したかと思いきや、沖縄にあるとは・・・
少し驚いたが、気を取り直して進む。ほどなく那覇市内に突入。昨日通った道が見えた。ここから反時計回りに沖縄本島南部を回る予定である。南には、平和記念公園をはじめ、ひめゆりの塔やさとうきび畑がある。地図に載っている百名ビーチが、キャンプ可ということなので、そこで泊まるつもりで走った。
ほどなく那覇市を突破し、那覇国際空港を横に、糸満市をめざす。ようやく3日目にして晴れた。街の合間に見える海が、澄み切っている。あっという間に糸満に着いた。別れた相棒からのメールが届いていた。どうやら空港では、昨日のライブの機材が運び込まれているらしい。スタッフもちらほら見かけるとのこと。まさか、本人に会わないだろうなと思いつつ、コンビニで休憩を取った。
沖縄まで来ても、カーショップやコンビニが同じように並んでいるので、日本だということを思い知らされる。
休憩したコンビニから名城ビーチまではそう遠くなかった。少し坂を登ったところで、すれ違った車から応援の声が。坂を過ぎて下ると、名城ビーチである。少し休んでいこうかと思いきや、入場に金がかかる。結局、入ることもできずに引き返し、サトウキビ畑を目指した。平和之塔の案内通りに進んでいくと、周りが畑だらけになる。サトウキビ畑と思われるものを発見したが、自信がなかったので、畑のおばあさんに聞いてみた。彼女の話では、サトウキビは少し前に収穫してしまって、新しいのを植えたばかりらしい。それでも、それなりに育っている。おばあさんと少し会話を交わしたあと、写真を撮って、平和之塔を目指した。平和之塔から見える景色は、僕にとって久々の絶景だった。
ふと空を見上げると、JALの飛行機が飛んでいった。あれにCHAGEさんやASKAさんは乗っているかもしれない。とりあえず、手を振ってみた。
幾人かと会話を交わしだ後、来た道を戻り331号へ向かった。先ほど、畑で農作業をしていた老夫婦が乗ったトラクターを追い抜きざまに、挨拶をした。こんな海沿いの畑で、水平線を見ながら農作業をしていると気持ちがいいだろう。人生の目的を果たした後の老後人生は、こんな所で農業を営みたいと本気で思った。
331号線まで戻り、次の目的地を目指した。次の目的地はひめゆりの塔だったが、途中で、土産物屋のような店があり、そこで食事も出来るらしいので、昼食をとることにした。
2階に食堂がある。メニューにゴーヤーそば定食というのがあったので、それを頼んだ。食事を待ちながら、ふと、かかっている音楽に気づいた。その音楽は、今まで走った沖縄のイメージにぴったりだ。毎回、旅にはテーマソングを選ぶのが楽しみの一つなのだが、今回の旅はこの曲に決定。それはCoccoの「樹海の糸」である。
曲に浸っていると、食事が運ばれてきた。さすがゴーヤーそばというだけあって、蕎麦が緑色である。新鮮な味を楽しんだ。
店を出る頃は、一番暑くなっていた。とても4月とは思えない。さっさとひめゆりの塔へ向かった。さほど遠くないところに塔はあった。中に入るのに金がいったが、外からでも見えるので十分だった。一応、写真を撮って平和祈念公園を目指す。途中で健児の塔というのがあったので寄ってみたが、薄暗い森の中を奥に進んだ所にあったので不気味だった。
平和祈念公園で少し休むことにした。広い芝生の公園なので、地元の人等も遊びに来ているようだ。しばらくの間、沖縄の風に抱かれた。
百名ビーチまではあと20km近くである。その間、ちょっとしたアップダウンが続いた。もう少しでビーチというところで、何故かどんどん登っていく。浜辺がかなり下の方に見えるので、心配になって、コンビニの人に道を聞いてみた。
道は間違ってはおらず、少し進んだところに入り口があった。そこから一気に降りたところらしい。しかし百名ビーチの隣に新原ビーチがあり、微妙に分かれ道になっている。なんの案内もなかったのでそのまま下っていくと、新原ビーチに出てしまった。百名ビーチに行くには、戻ってから別の道を下りなければならないらしい。少しショックを受けつつ、すさまじい登り坂を登り、また下りた。ようやく百名ビーチに着いたものの、唖然としてしまった。キャンプ可とはいえ、何の施設もないただの砂浜である。おそらく、夜はここに一人でキャンプだろう。名城ビーチのように、観光客で賑わう様子も全くない。
ここでキャンプするのはかなり無理があると思った。とはいえ、名城まで戻るか、いっそ那覇市まで走りきるか・・・
30分くらい悩んだ末、決断を下した。那覇市まで走りきろう。ちなみに現時点で3時半。すでに50km走っている。再び厳しい坂を登って、那覇市を目指した。那覇まではさらに50kmくらいだろう。途中で、泊まる所はないかと探しながら走ったが、キャンプが出来るような場所はなかった。知念村を回って佐敷町を突破する頃、疲れはピークだった。予定外の走行ほど精神的に疲れるものはない。平和祈念公園で休んでいた余裕が懐かしい。
那覇市に着いたのは、6時半頃だった。すぐに一昨日とは別のユースに行き、チェックインした。一昨日のユースとは違い、まだ新しいので綺麗である。
なんとか落ち着いたので、近くのケンタッキーに寄り夕飯にした。沖縄の景色を十分堪能できたので、明日は買い物をして帰るだけである。